2008年05月07日

薪の結婚 (The Marriage of Sticks)

 ジョナサン・キャロル10番目の長編。
 稀覯本専門の古書業者、ミランダ・ロマナクが、恋人と新しい暮らしを始めることになった館。そこで様々な変事が起こる。死んだ昔の恋人や、存在しないはずの子どもたちが彼女を訪れ、彼女の罪を暴き立てる。一体なぜ、こんなことが……

 前作『蜂の巣にキス』の舞台でもあったクレインズ・ビューを舞台にしており、共通して登場する印象的な人物が一人いるが、内容に直接のつながりはなく、単独でも楽しめる。

 恋愛ロマンス的な前半部が思い切りよく裏切られ、謎と魔法に満ちた後半部が始まる。キャロルファンにはおなじみの展開で、このギャップに快感を覚えるかどうか、というのが、キャロルに惹かれるかどうかの一つの境目になる。

 前作『蜂の巣にキス』のレビューで『我らが影の声』との関連に触れているが、本作にはより共通する部分が多いようだ。いわゆる不倫が引き金になっている、というだけではなく、主人公の「正体」には『我らが……』の主人公の罪を思わせる部分がある。
 しかし、強烈な幼少期の記憶が全編を支配していた『我らが……』に比べると、ここで描かれる罪は(その「正体」の特殊性にも関わらず)より普遍的であり、テーマとして深化されている。タクシー運転手の語る「ベッドダニ」の話なども、キャロルらしい形での、テーマの普遍化を示している。その普遍性故に(あるいは「にもかかわらず」)、明かされる真実には、「それはそれほどのことなのだ」という衝撃がある。あり得ない出来事を通して、読者の心の底に強烈な一撃を加える、これぞキャロルの面目躍如、といったところ。

 いかにもキャロル、という魔法や小気味よい警句などがちりばめられ、ファンとしては夢中で読み終わるしかなかったのだが、残念なのは『死者の書』のような「完璧な伏線に支えられた意外な結末」という点ではちょっと後退しているんじゃないか、という点。意外さはあるが、いささか唐突すぎる感じは否めない。

 今回が長編の初訳となる市田泉さんに関しては、十分頑張ってくれていると思うが、浅羽さんと比べると……。浅羽さんが、原文の持つ「軽妙さ」を、いかにうまく日本語に移し替えていたか、ということが改めて実感された部分も。
 もっとも浅羽さんと比べてしまうのは酷なのだろうし、「訳者あとがき」を読むとご本人もプレッシャーを感じておられる様子。決して悪い訳ではないので、翻訳して下さることに感謝しつつ、今後も応援していきたい。
posted by けいりん at 14:20| Comment(8) | TrackBack(0) | レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こちらでは、はじめまして。
『薪の結婚』読みました〜。面白かった。
おばあちゃんがお気に入りです。

ヨーロッパ人の、というかキリスト教徒の考える「魂」というのがどういうものか、なんとなくわかった(ような気がした)のはフーケーの『ウンディーネ』を読んだときで、それ以後、翻訳小説に出てくるヒトと人外の者の描かれ方の差異とか、人外の者がヒトになろうとする物語を読んだときの理解度が違ってき(たような気がし)ました。それ以前に読んだ話とか童話なんかを読み返しても、一歩踏み込んで読めるようになったと思います。
この話も、ヒトと人外の者と魂について考えながら読みました。
そこに輪廻が絡んでくるのも面白かった。何度も転生、というのはキリスト教からみると異教的な考え方でしょうし、筋道だてて説明できないけど、感覚的には「なんか符号が合う」感じです。

キャロルの他の作品も読んでみようと思います。
同じ街・重複する登場人物とくれば、キングのキャッスルロックとかデリーにハマった人間としては食指の動く話ですが、とりあえず『死者の書』から読みはじめようかな。
Posted by 幾狭 匠 at 2008年06月22日 11:46
おお、こんにちは!
ようこそキャロルの世界へ。

フーケーはたしか『水妖記』のタイトルで訳されたものを呼んだ記憶があります。おっしゃる通り、クリスチャンにとっての「魂」のあり方がわかる作品ですよね。私見ですが、あの作品中のウンディーネは、「人外」であると同時に「女性」でもあるのだと思います。「女に魂がない」という思想は西欧には根強くありますよね。わずかでも主体性を見せる女は「魔女」扱いされたりとか。魔女裁判指南書「魔女の鉄槌」によれば、全ての女は潜在的に魔女だそうですし。そういったいわば「他者としての女性性」を「人外」に仮託して語っているのがフーケーの作品なのかなあと。

話が逸れましたが、そういえば(これから読まれることと思うのでネタバレは避けますが)前作『蜂の巣にキス』の《蜂の巣》嬢は多分に魔女的です。こういう観点からキャロルを読んだことなかったけど。

転生はキャロルが繰り返し扱っているものの一つなので、どうぞお楽しみに。キャロルの作品が明らかに「一つの世界の話」になっていったのは長編第四作『炎の眠り』に前作『月の骨』の登場人物が出てきてからですが、『死者の書』や『我らが影の声』の登場人物の名前が思わぬところに出てきたりもするので、そう言ったところもどうぞお楽しみに。『薪の結婚』を二作目とする「クレインズ・ビュー三部作」はこれまでの話とはつながりがないということですが、これも今後はどうなりますか。

で、私はほとんどの作家の本について、「全部読みなら書かれた順に」と思っているので、『死者の書』から読むのは推奨できます。だってナルニアだってエルリックだってホームズだって絶対年代順じゃなくて書かれた順に読んだ方が面白いじゃないかあああっ!
Posted by けいりん at 2008年06月22日 15:31
>「他者としての女性性」を「人外」に仮託して語っている
なるほどなぁ。
確かに、男が男しか人類の範疇に入れていないのは常々感じているよ。
ヨノナカ(あえて「男社会」とは言わん)における女の価値っていうのは、ワタクシのみるところ商品価値で、女の大部分はそのことに気づいているのか気づいていないのかわからんけど、自分の商品価値を上げようと必死ですね。
がんばってください、さようなら。って感じです。

>全部読みなら書かれた順に
ワタクシも、できるだけそうしたい方です。
シリーズものとかはもちろんですが、そうでなくてもその方が面白いと思います。
最初はたまたま手にとった本から読み始めても、ハマりだすと可能な限りデビュー作から順番にいきますねぇ。
とりあえず、死者の書をAmazonに注文しました。たのしみです。
Posted by 幾狭 匠 at 2008年06月23日 21:31
一月半も経ってしもた。スマヌ。

商品価値、というのは私もその通りと思います。一方で、女性が独自に自らの価値を打ち立てようとしても、それを「商品価値」として読み替えてしまう仕組みがヨノナカの側にあるのも事実かと。特にエロや萌えの分野においては、女性に関わるものでさえあればほぼあらゆるものが本来の意味を剥奪され、「記号」として対象化されてしまう傾向がありますよね。まあそんな難しいこと言わんでも、単に「男は穴さえあれば何にだって欲情する」というだけのハナシなのかもしれませんが。

で、死者の書は読みました?
Posted by けいりん at 2008年08月05日 10:20
5ヶ月経ってたよ。すまぬ。

>「男は穴さえあれば何にだって欲情する」というだけのハナシ
笑いすぎて腹筋痛い〜

色々忙しかったり同時進行でいろいろハマったり(司馬遼に再ハマりとか)してるのでゆっくりですが、ジョナサン・キャロルもちょっとずつ読み進んでます。『死者の書』『我らが影の声』『月の骨』『炎の眠り』ときて、今は『空に浮かぶ子供』読んでるところです。
どれも面白い。どれもヒロインが魅力的。

一応、上記作品を未読の方でここのコメントまで読んでる方がいらっしゃる場合を想定して前置きしますが、
以下ネタバレ注意。

『死者の書』は、物語というものに対して我々が感じる力をすごくよく表現してると思います。ラスト直前までの展開はわりと読めたけど、最後の最後はホントにびっくりした。

『我らが影の声』のラストは、とにかく怖かったです。これはしんだほーがマシなんじゃ……と思わせるくらい怖い結末ってなかなかお目にかかれません。

『月の骨』……あまりにもヒロインのダンナが理想的で、実はラスボスはこいつというオチなんじゃないかとか思ってしまいました。『影の声』読んだ直後だったからなぁ。

『炎の眠り』は、『死者の書』と通じる面白さがあるなぁ。元ネタになってるグリム童話が未読なんですが、読みたくなりました。これの最後も怖いね。

このあとのもまとめ買いしてあるので、とうぶん楽しめます。たのしみたのしみ。
Posted by 幾狭 匠 at 2009年01月06日 17:08
やあやあどうもどうも。
キャロルを気に入っていただけたようで何よりです。

以下、同じくネタバレありで。

『死者の書』のラストにはホント驚かされますね。しかも思い返すと伏線が完璧なもんだから、ホントに参る。スティーブン・キングがファンレター送ったというのもダテではないと思います。

『我らの影の声』は怖さって点では一番ではないでしょうか。「エイプリル・フール! ごみ野郎」で心底震え上がりました。
ところでこの作品に出てくる「フォルモリ島」、一度ギリシアに行った時、あわよくば行けないものかといろいろ調べたのですが、結局どこにあるのか分かりませんでした。もしかすると架空の島かも?

で、この二作のあとでは確かに、『月の骨』の真相は、意外さに欠ける感じはありますよね。ただロンデュアの描写とネーミングの妙(訳を含めて)だけで丼飯3杯は軽く行けるような。

『炎の眠り』は、おっしゃる通り『死者の書』と対になる作品だと思います。「太博物館」HP時代に知り合った方は、この二作について、ボルへス「円環の廃墟」との類似を指摘しておられて、なるほどなあと思ったものです(キャロル本人にメールで聞いてみたら、関連は否定されたそうですが)。
元ネタのグリム童話は「ルンペルシュティルツヘン」ですね。日本の「大工と鬼六」等に非常に良く似た話です。これを「がたがたの竹馬小僧」と訳しているのは、私の知っている限り、この作品における浅羽さんだけ。訳としての上手さはともかく、注釈か解説などでいいので、よく訳されているタイトルを揚げておいてほしかった気もします。実は一番お気に入り。「《息》だよ、父さん」ってとこでぞくぞく来てしまう。この前後のシーンのもつ「物語の快感」って、ちょっとなかなか味わえないよなあ、と思います。

『犬博物館の外で』くらいまで読んだら短編集に手を出すのもいいかも。その辺までで、短編と関連のある人物はだいたい網羅されているはずなので。
Posted by けいりん at 2009年01月07日 21:55
出版されてる分、全部読みました〜
短編集も面白かった。知った名前とか出てくると嬉しいですね。
『天使の牙から』が一番気に入ったかな。あと、『犬博物館』とか、わりと読後感が明るめのやつが好きかも。すごく怖いのも好きだけど。
結末がド真っ暗だったり重かったり希望が持てるものだったり、色々あるとこがいい。
また新刊出ないかなぁ。
Posted by 幾狭 匠 at 2009年02月28日 19:19
この後更新もしますが、4月に新刊でます!
市田さん、ちゃんと仕事してくれて嬉しい限り。
Posted by けいりん at 2009年03月14日 10:56
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/95936242

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。